1991年の清水商。

今朝発売になった「Number645号」の記事が面白かった。
表紙はエミリヤ・エンコ・ヒョードルだが、格闘技の話ではない。
ナンバーノンフィクション「遥かなる選手権」のことだ。
1991年の全国高校サッカー選手権大会3回戦、
史上最強と噂された清水商業と、圧倒的不利と言われた大宮東の一戦である。

当時の清水商業が「最強」と言われたのは、
もちろんそのメンバーによるものだ。
DFに薩川了洋(3年)、大岩剛(3年)、西ケ谷隆之(2年)。
MFに望月重良(2年)、そして名波浩(3年)。
FWに山田隆裕(3年)を擁していた。
スタメンのうち9人がJリーガーに、
そのうち4人が日本A代表として選出されている。

しかしこのチームの白眉はやはり、名波だろう。
後に「日本一の左足」を擁してフランスW杯を戦うことになるレフティだが、
当時から実力は図抜けていた。
この時も、選手権に進んでからの試合はすべてマンマーカーをつけられ、
2回戦の市立船橋の監督・布啓一郎は「アイツを殺せ」と言い放った。
そしてこの3回戦の大宮東の監督は、チームの攻撃の要であり、
ゲームメーカーであるはずの選手を名波のマークにつけた。
「名波にずっとついてろ。あいつが心臓だから」
マーカーの仕事を与えられたゲームメーカーは、ハーフタイムにこぼす。
「なんなんだよ、あいつ。ぜんぜんボールにさわれねえ。
取ろうとしても全部あいつの足にひっかかる」
つまり名波は、それほどの才能を持った選手なのだった。

後に横浜マリノスに入ることになるFWの山田は、
チームメイトの望月いわく「ホンットの怪物」。
だが望月にしてからが、後の日本代表となるほどの選手である。
その山田、「高校生相手に負けるなんてまず経験がない」。
しかし清水商は、この試合をPK戦の末に落とすことになる。
圧倒的に試合を支配していたはずの清水商だが、
魅入られたように敗北の轍にはまってしまうのだ。
サッカーの怖さ、の一言で片付けるには重すぎるだろう。
彼らの高校サッカーは、不意にはまった一本の轍に沈んでいったのだった。
トーナメントは一発勝負。二度と取り返しはつかない。

記事は選手たちの述懐で終わる。ただそれだけだ。
しかし、天才と呼ばれる男の若き日の話はいつも我々を魅了する。
「このチームで理想のサッカーを見つけた」名波は語る。
「決勝までもう3試合やりたかった、このメンバーで」

「死ぬ間際に後悔する試合かもしれない」
そう語るのは山田隆裕。彼はJリーガーを引退して、
現在は移動メロンパン販売の会社を経営しているという。
「死ぬ間際に“なんであんなところで負けて”って
後悔しながら死んでいくんだと思います」
by shinobu_kaki | 2006-01-19 22:49 | さかー考
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