人気ブログランキング | 話題のタグを見る

キャッチボール(再録)

木の香りを感じるたび、生家を思い出す。
それは懐かしい、キャッチボールの風景だ。

僕の実家は自営で、製材所だった。
「だった」というのはとある事情により、
製材所が人手に渡ったために、もうウチのものではないからなのだが、
高校を卒業するまでの18年間、というか正確には18年足らず、
僕はそこで暮らし、成長した。
「足らず」というのはとある事情により、
僕が高校受験を間近に控えた時期に母親が家を飛び出し、
まあなんというか成り行きで一緒に家を出る事になったからだ。
僕は親戚の家の一角にある小部屋で受験勉強をがりがりと続け、
それでもなんとか無事に試験を通過する事ができた。

母親と違い、個人的に実家に恨みや二心のない僕は、
高校に上がってからは双方の家を行き来することになった。
離婚云々まで話がこじれた夫婦間においては、
子供というのはまるで人生ゲームのアガリのボーナス人形みたいなもので、
ほとんど所有物に近い感覚だったのかもしれない。
所有物という言い方が悪いなら、利権のようなものだ。
まるで大航海時代のスペインとポルトガルのように、
実家と母親は子供という利権を巡る争いを続け、
僕は大西洋上で嵐に翻弄される帆船のように右往左往していた。
それは時に荒れ狂う高波に酔い、(ほんの少しの間だが)凪に和んだ。
しかしひとつだけ確実なものがあるとするならば、
精神的な意味で、帆船は決して港に帰港することはなく、
さらに言えばただの一度も上陸することはなかったと思う。
それは、10年以上を経過した今でも変わりはないかもしれない。
港に「寄港する」感覚ではあっても「帰港」するわけではない。
ビクトリア号は香辛料を巡る旅に出たのだ。
それは帰らぬ船となって、いまだインド洋あたりを彷徨っているのかもしれない。

それはそうとして、僕は生家とその周りの匂いが好きで、
1〜2年に一度の割合で帰った時には、よく家の裏の敷地をうろうろしている。
製材所として今でもかろうじて機能している家は、
敷地内の至るところに木材が置かれてある。いわゆる秋田杉である。
小さい頃はよく、落ちている木の中でちょうどいいのを見つけ、
弟とチャンバラのようなことをしたものだった。
もちろん今ではそんなやんちゃなことはやらないが、
それでも大きくなるまで弟とはよくキャッチボールをした。
家にいて、ちょっと時間があくと必ずした。

田舎の家の敷地というのはどこもだだっ広く、
キャッチボールどころか野球をする場所ですら見つけるのに苦労しない。
しかし野球をするなら人を集めなければならず、
それほど都合良く人は集まるものでもないため、
もっぱら我々はキャッチボールに時間を費やした。
しばらく逢わずに離れていて、お互いに何か話したいことがあったとしても、
それほどおしゃべりとも言えない僕と弟にとって、
お茶を飲んでペラペラ話す、といった選択肢は脳裏に浮かばない。
キャッチボールをしながらの訥々した会話が、
そんな我々にとってちょうど良かったのかもしれなかった。

キャッチボールは父親とも一度だけした記憶がある。
照れくさかったのと、父親の投げるボールが強く速すぎて、
なんだかひどくやりづらかったのを覚えている。
それでもあの無愛想な父親にして、とても嬉しそうな様子だったように思う。
男親にとって息子とのキャッチボールは夢だ、
などとよく言うが、それはいったい本当なのだろうか。
僕が父親になって初めてわかるのだろうか。
まだ僕は父親ではないので(さらに言えば夫でもないが)、
実感としていまひとつわからない。想像するだけだ。

それにしても、その頃は本当によくキャッチボールをした。
その頃、というのは実家にいた10代の頃の長い年月を差すのだが、
時には、野球部に所属した弟の特訓と称して、
かなりの至近距離から僕がボールを投げ、
弟がそれを打ち返すという、漫画「キャプテン」のような事もした。
しかし材木小屋を背に僕が投げたため、バットに当たってしまった打球は、
命中するたび小屋の壁に穴をあける事になった。
時には窓ガラスを派手に割り、親にこっぴどく怒られもした。

それでも我々はその遊びをやめなかった。年月が経つにつれ、
僕が7〜8メートルの距離から投げたボールは徐々に派手に打ち返され始めた。
小屋の壁がいよいよ穴だらけになる頃には、
弟は中学でいつのまにか4番でキャプテンにまでなっていたのだから、
あの遊びの効果もまんざらではなかったのだろうか。

今は弟と会う機会もなかなか無く、もう我々は10年もキャッチボールをしていない。
家にはまだ、一対の汚れたグローブがある。
手入れもおざなりのため、形もかなり変わってしまってるだろう。
グローブはマメな手入れが必要なのだ。

懐かしいキャッチボールの風景には、
いつも材木置き場の木の香りが横溢していた。
いま僕の住む東京都内にも、木材の置かれた場所はいくつもある。
それは小さな小さな工場だったりするけれども、
そんな、粉っぽい木の香りのする場所の前をふと通るたび、
左手にはめたグローブに、バシン、と勢いよく納まるあの白球の、
キャッチボールの風景を思い出す。

幸せな少年時代だったのかもしれない。

--------

自分のブログの昔の記事を読み返していた。
僕はこういうことをたまにやるのだった。
2004年12月のカテゴリを読んでいて、
ちょっと思うところがあったので再録。
昔の記事の再録というのは僕の場合初めてのはずである。

ところで…外はいま、大雪。
朝までにはかなり積もるかもしれないね。
by shinobu_kaki | 2006-02-07 00:05 | ライフ イズ

移動祝祭日


by Shinobu_kaki
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31