2005年 02月 23日 ( 2 )

桜吹雪が風に舞う。

もうすぐ桜の季節である。

日本人は本当に桜が好きで、
この神秘的なピンクの花が咲くほんの1週間ほどのあいだ、
日本のあちこちで花見と称する飲み会が行われる。
もちろん僕だって例外じゃない。
開放的なお外での楽しき花見に関しては
個人的に失敗談も多々あるが(もちろん酒がらみ)、
ここではあえて触れない。
書きたいのは1年前の小田原で見た桜である。

ちょうど1年前、僕は仕事の忙しさにほとほと疲れ果て、
身体もそうだが何より精神的に参っていた。
明らかに頭がリフレッシュを欲しているのを感じていた。
こういう時はぶらりと旅行になど出るのがいいのだが、
前々から予定を立てるといったバイタリティも疲れにより失われ、
とにかく今すぐにどこかゆっくりできる場所に逃避したかった。
そう、現実逃避が必要なのだった。
そうして訪れた土日の2連休。僕の疲れはピークに達していた。

前日の金曜日、友人に相談した。
内容は、東京からそこそこ近くてゆっくり泊まれる、
そして一人でも立ち寄れる温泉はないだろうかというものだった。
一人だし、別にそれほど素敵なとこじゃなくていい。
少しでもゆっくりできればそれでいい…。
相手だって急に言われても困る。突然だし、時間だって無い。
だがそこは流石というか有り難いというか、
短時間にいろいろ調べてメールで情報を送ってくれた。
友人が紹介してくれたのは、小田原のとある宿だった。

土曜日はよく晴れていた。
僕は小さいかばんに着替えと本とCDウォークマンだけ積め込むと、
現実逃避の旅に出た。まずは恵比寿のアトレの新星堂に寄り、
Mr.Childrenの発売したばかりのアルバム「シフクノオト」を買い、
山手線の内回りで品川へ向かう。
土曜日の昼の陽光が車内を明るく照らし、
気持ち良さそうにうたたねをしている人もいる。
電車の揺れというのはどうしてあんなに気持ちがいいのだろう。
心地よい一定のリズムを刻みながら、電車は品川へ着いた。
僕は品川の駅で軽く食事をし、今度は東海道本線に乗り込んだ。
新幹線ではない。でも小田原までは1本、1時間半もかからない。
僕はボックス席に座り、新しく買ったCDをかけ始めた。
両耳のイヤホンから鼓笛隊のような静かな、太鼓とラッパのイントロが流れ出す。
その感じは僕の東海道線の静かなイメージと重なり、
すっかり分かちがたいものとなっている。それは良く晴れた休日のイメージだ。
ごとんごとん、ごとんごとん。海沿いを走る電車。

横浜を越えるとやっぱり少しのんびりする。
藤沢、茅ケ崎…このへんは海と渚のイメージがある。
二宮、国府津。小田原は近い。小田原には降りたことがない。
箱根マラソンで見たことがある、くらいの印象しかない。
小田原は小田急線であるとか箱根登山鉄道であるとかのターミナル駅になっており、
かなり広い。そしてキレイである。
大きめの改札を出て右へ進むとエスカレーターがある。降りると駅前だ。
右へ進むと小田原城、その先は太平洋へと続いている。
駅前を歩くとやはり干物などの土産物屋が目に付く。
干物屋というのは大盛況することはめったにないだろう。
いつもボチボチなはずだ。それだけに店番のおばちゃんは心なしかのんびりと、
自分の一定のリズムで生きているような印象を感じる。
せわしない都市部ではなく、観光地に住まう人々のリズム。

宿は駅から5分と歩かない。キレイな外観である。
サイトで調べたのだが一度チェックインすると外出はできない。
水道橋のラクーアを思い浮かべてもらうといいかもしれない。
宿というか、アメニティ施設。
これはこれで、今回の僕のニーズにぴったりではあった。
外出ができないから、チェックインを遅らせ、初めての小田原を歩いてみることにした。
海の近くの街、というのはなんだかゆったりしていて好きだ。
ちょっと行くと無限に広がる海、というシチュエーションが
人の気持ちに関係がないわけがない。
波のリズムが影響するのかもしれない。いつも軽いゆらぎがあるような気がする。
そしてかすかな潮の匂い。心地よい湿り気を帯びた春の風。

この道を行くと右手には小田原城。看板にはそう書いてある。
秀吉が北条氏を攻めたというかの地、当時の戦の匂いはとうにない。
緩やかな曲がり角、城のお堀が見えてきた。そこで僕は声を失ったのだった。

桜吹雪。

お堀に沿って、ずうっと桜の木が並んでいる。
ちょうど見ごろ散りごろの桜、
やわらかく風が吹くたびに桜の花びらが一斉に舞うのである。
舞った桜は足元の、城のお堀に静かに落ちる。
桜の枝がお堀に張り出していて、水面に逆さに映りこんでいる。
そのお堀の水は陽光にキラキラと反射して、水というより光がそこにあるようだ。
そして桜の花がその光の上に一面に浮いている。ピンク色のお堀だ。
ああ、と僕は思った。
そうか、小田原ってこんなにきれいなんだ…。

小田原城が桜の名所かどうかはよくわからない。
でも驚くべきことに、僕は完全に癒されていた。
とことこと歩く、その一歩一歩が回復のための歩みだった。
そういう体験はあまりない。
くたびれていた身体と気持ちがじんわりと、
暖められるように癒されているのを感じた。
ざざざざざ、風が吹くたびに花びらが散って舞う。
桜が1枚2枚と髪の毛にからむ。昼下がりの街は陽に照らされて暖かい。
僕は桜の花を身体にまとったまま、ゆったりとした太平洋への道を歩く。
5分も歩けば、春の海はすぐそこにあるのだ。
by shinobu_kaki | 2005-02-23 12:35 | チープ・トリップ

涙。

恵比寿の改札を出て家に向かう途中、なぜか涙がこぼれてきた。
時間はもう夜の9時をまわって暗かったので、
明るい恵比寿といえども夜道を歩けば、幸いにも通行人にばれることはない。
泣いたのは久しぶりだった。
映画などである程度「泣こう」と思ってハラハラと泣く事はある。
もちろん自然に流れる事もあるが、ある程度気持ちの用意ができた涙だ。
だが今回の涙は、まったく不意にあふれてきた。
そんなのは本当に久しぶりで、久しぶりすぎてびっくりしてしまった。

こみ上げる感覚が胸の奥からじんわりとわき起こり、
熱い液体が目からゆっくりと、しかし次々と流れ落ちて、
2月の冷たい風に冷やされ、頬を濡らす水はたちまち冷たいものに変わる。
涙でぼやけた視界の端に見えた地下のレストランは満席で、
シックに着飾った女性たちが白いテーブルにワインでおしゃべりをしている。
夜の9時、恵比寿の街はまだ華やかにして終わらない。そういう街なのだ。
そんな恵比寿に僕はもう5年も住んでいる。

僕はドラッグストアの横の信号をわたり、
タコをかたどった滑り台のある、有名な公園のそばの道を歩く。
駅前の喧噪がウソのように、道は暗く、そして静かだ。
涙はまだ止まらない。そばに誰かいたならぐっとこらえて、
泣いてなどいないがごとくに振る舞った事だろう。
でも僕はひとりでいた。自らの感情を、誰にはばかることもない。
泣くにまかせて泣き続けた。なんだか気持ちがいいものだ。
まっすぐ家に帰ろうかと少し迷った後、公園の白いトイレに入り鏡を見ると、
メガネの奥の目が赤く潤んでいた。
自分の泣き顔を見る機会なんてそうはない。
夜も明るい公園のトイレ、なんだかみっともない顔がそこにあった。

哀しいわけでもなく涙を流すというのは不思議なものだが、
時にはそういうこともあるのだろう。理由はない。それだけ。
街への突然の愛おしさからくる涙。家族に対するそれに似ているかもしれない。
泣くことの浄化作用のおかげで幾分すっきりした僕は、
しかし頬を流れていたさっきの涙の跡を拭き取ることなく、
家へと続く道をひとりして歩いて行く。歩き慣れた道だった。
by shinobu_kaki | 2005-02-23 01:10 | 言葉は踊る。