夢を見た。
東宮御所は初めてだった。
現代日本とは思えないほど広大な敷地と、
その古式ゆかしい規律。
さすが皇族ゆかりの場所だけあった。
御所は神聖な場所だ。
本当ならば僕などは、足を踏み入れる事などかなわない。
だがたまたま、知り合いのつきそいでここを訪れる事になったのだ。
持つべきものはセレブの知り合いである。
知り合いはかなりの要人だったらしく、
立ち入りの禁止された奥の間で皇族にじかに謁見するらしい。
僕もついて行きたかったがさすがにそうはいかない。
怒られない範囲で中庭をぶらぶらして、
時間をつぶすのが関の山だった。
ふと、門の外側にサッカーボールが落ちているのを見つけた。
ボールを拾って、へたくそなリフティングをして遊ぶ。
思えばこれが間違いの始まりだったのだが、
その時はもちろん気づかない。
リフティングなんて、素人はそんな何十回もできるものではない。
だができる人は永遠に続けていられるらしい。大したものだ。
しかし何年ぶりだろうサッカーボールなんて、
と思いながら無心に蹴り続けていると、
手元ならぬ足元が狂って、ボールは側溝に落ちてしまった。
外に繋がる狭い側溝には水が流れている。
門の外は広々として何もない。
奈良時代のようなぽかんとした風景の中に御所はある。
そういう風につくられたのだ。
さて、側溝に落ちたボールに手を伸ばす。
見ると、見知らぬ女の子が同じようにボールを落とし、
ゆるゆるとこちらに流れるそれを追いかけてくる姿があった。
僕は自分のボールを拾うより先に、彼女のボールをつかみ、渡してあげた。
「どうもありがとうございます」
「いえいえ」
「…あっ!ボールが…」
「えっ?」
女の子とほんの少し挨拶を交わしているうちに、
放置していた僕のボールは気づくと遠くに流れてしまっていた。
側溝は御所の中へと繋がっている。
しかも途中からどんどん流れは速まっているのだ。
これはまずい。
ボールは無常に奥へ進む。
僕は追って走った。
水の流れは予想外に速く、
走ってもなかなかボールに追いつけなかった。
どんどん走って中へいく。
御所の中の水路は複雑に入り組んでいて、
奥へ行くほどに迷路のようになっているかのようだった。
そして立ち入り禁止の表示に気づかない僕は、
ボールを追ってさらに奥へと入って行った。
屋根があり、薄暗いせいだろうか、
空気がどことなくひんやりしている。
柱や手すりなどのしつらえは赤で統一されている。
沖縄に行った時に訪れた首里城のようだな、と思った。
ボールは見失ってしまったが、水路はひとつしかない。
そしてまだボールが見当たらないという事は、
この先に絶対ボールはあるはずだ。
ふと、足元を流れる水路の深さが変わった。
下に深くなったわけではなく、
歩く自分の目の高さまである流れる水槽に変わったと言うべきか。
水槽の壁面は透明で、流れる水が見える。
そして自分を追い越すように何かが流れてきた。
流れてきたのは、犬の死体だった。
おそらくは死体なのだろう、口を開けて微動だにせず、
あまりにも完全に透明な水の中を音も無く流れている。
一匹、二匹、三匹…。
どんどん犬は流れてくる。
外傷のないそのままの姿で、一瞬で凍りついたような格好で。
この御所では何が行なわれているのだろう?
だが一般人に過ぎない僕には本当のことを教えてくれるはずもない。
何しろここは皇族のお屋敷なのだ。
普通の場所ではないのだ。
僕はボールのことをすっかり忘れ、
次々と流れる犬の死体をぼんやりと見つめ続けていた。